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高田屋嘉平像

市立函館博物館

護国神社へと通じる高田屋通り、そこに函館山を背に高くそびえ立つ3.6メートルの銅像。 帯刀し、右手には松前奉行からの論書を、左手には正装に着替えた際に脱いだ衣装を持つ、高田屋嘉兵衛像である。
高田屋嘉兵衛は司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公としており、また、この像を日本三大名像のひとつとしている。
高田屋嘉兵衛という人物の知名度は小さいが、その高さからいかに偉大で尊敬されている人物かがわかると思う。この像を見る前に、一度、高田屋嘉兵衛について知っておくことをお薦めする。

高田屋嘉兵衛について

1769年、淡路島、現在の兵庫県津名郡五色町に百姓の子供として生まれる。その後、28歳のときに蝦夷、今の北海道に新たな可能性を見出し箱館に来航。箱館を本拠地として海運業を始めた。その後、当時の幕府にその才能を認められ、千島方面、現在の北方領土の航路を拓く命を受け、択捉島、根室に港を開き、巨万の富を得る。
しかし、その富を自分のために使うのではなく、道路の改修、漁業の開発、函館山への植林など、函館の発展のために使っていった。また、1806年の函館大火の際には、被害にあった市民に物資を救援し、今後のためにと井戸とポンプを寄贈した。このように、高田屋嘉兵衛は北方の航路を拓くだけではなく、函館の経済に大きく貢献した。
そして1811年、南下政策を進めていたロシア軍のゴローニン(Vasilii Mikhailovich Golovnin)海軍中将が、国後島を測量中に幕府によって捕らえられ、日本に抑留されたという「ゴローニン事件」が起きた。これをうけてロシア軍は、翌年、リコルド少佐により国後沖で高田屋嘉兵衛等を拿捕し、日本とロシアの関係は最悪のものとなった。しかし、獄中からの嘉兵衛の必死な説得により、ついに翌年、嘉兵衛との交換でゴローニンが開放されることとなった。もし嘉兵衛の説得が無かったならば、日露戦争が勃発していただろうとも言われている。
高田屋嘉兵衛像は、当時43歳、ゴローニンを迎えるために函館に来航した時を再現している。
すぐ近くには、ゴローニン、リコルド、嘉兵衛の子孫が186年ぶりの再会を記念として、日露友好の碑が置かれている。


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