がっつり函館観光モバイル


石川啄木一族の墓

石川啄木一族の墓

石川啄木は明治40年5月〜9月の4ヶ月の間函館に滞在した。函館では、文芸結社、苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人らに温かく迎えられたり、離散していた家族を呼び寄せるなど啄木にとっては楽しい生活だったと思われる。
1912年4月、石川啄木は27歳という若さで亡くなるが、「死ぬときは函館で」という啄木の言葉から現在もこの函館の地に眠っている。その墓碑には「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と歌われている。啄木の墓が現在の形となったのは、義弟であり啄木の援助者である宮崎郁雨の手によってのものであり、宮崎一族の墓も石川啄木一族の墓のそばにある。
たった4ヶ月の滞在で、石川啄木は函館をこよなく愛した。この場所はそんな函館を堪能するためのルーツとなるのかもしれない。墓からは石川啄木が好んで散歩したといわれる大森浜も臨める。
車一台分の幅しかない狭い道路を行くと、海がよく見える高台にある墓地の一角に石川啄木一族と宮崎一族の墓があります。そして本当にこの場所からの景色はキレイです。

住所:北海道函館市住吉町16
TEL:0138-21-3323(函館市観光課)


西部地区(立待岬周辺)の観光スポット

石川啄木一族の墓
与謝野寛・晶子の歌碑
立待岬


函館観光情報TOPへ
グルメ
イベント
体験観光


がっつり函館観光HOME